予備校の思い出

センター試験(じゃなくなる試験)まであと100日くらいでしょうか。国公立大と一部の私大を志望してる人には運命の分かれ道なので体調崩さないように気をつけて勉強してください。2回受けたおばさんは当日雪が降らないことを願っております*1

高校2年の2学期から高卒1年めまでの2年半、河合塾に通ってました。高校生クラスと高卒生クラスは講師の雰囲気もちょっとちがってたかなと思う。高3だとほれ勉強はい勉強!絶対合格!な勢いが強めだったけど、高卒生には「なぜ大学に行きたいのか」「合格を目標にしてるかもしれないがそこは単なる通過点だと忘れるな」と淡々と厳しかったです。予備校講師はいろんな経歴の人がいて面白かった。

 

今でも意識する言葉に「引き出しの中身を増やせ」と「知識を金に換えろ」があります。

前者は知識を身に付けろという意味。引き出し=頭に、服=知識が少なかったら気候や状況=問題に応じた最適な服装に着替えられませんよね。どういう問題が出されても対応できるようにしなさいということです。これは受験勉強に限らず仕事にも言えることだと思います。知らないことは知ればいい。でも知らないことの存在に気付かないと知ることはできない。

後者は「大学行ってどうしたいのか」に対するひとつの指針と思ってます。予備校講師は入試合格させるためのテクニックとノウハウを教える仕事ですから年がら年中知識をしゃべってお給料もらうわけです。いっとき「学校で勉強したことは社会に出て役に立たない」説を聞きましたけど、そういう人は役に立てられてないだけだと内心では思ってます。わかりやすくダイレクトに役に立つわけないだろう。そうだったら社会人はなんと楽なことでしょうか。得た知識を役立てるには使い方を知らないといけないし、自分で考えるときもある。それにアップデートしていかないと使い物にならなくなります。修士課程まで行って就活、学会、修論をやりましたが、そこで見られてるのは広く思考力だったと感じます。高校までは何かと与えられるけど、学部の後半や院は自分で考えてなんとかしなさい、環境はあります、なので計画を立てるとか装置がなければ作るとかなんとかするにはどうすればいいかとぼしい頭で考えました。細かく論理力やセルフマネジメントや推察などと言えそうです。就職してみて講師の言葉に戻ると、仕事の成果を出す方法を考えられるようになれ、大学では受け身の勉強にとどまらずに思考力を養え、が含まれているように思えます。予備校生の1年は楽しくもしんどかったけど、合格したら、卒業したら、終わりではないし仕事だけでなく生活していくなかでも必要なことを教わったなと思います。

 

※世の中大学進学がすべてじゃないですけど、経験してないことにはなんもいえないし言いたくないので大学に行かない選択をした場合については触れません。

*1:なんでかセンターの日は雪かみぞれが降るような…