科学コミュニケーション

昨日Twitterで、副反応を怖いと思う人を説得する話し方みたいな件に触れましたが、客観的データや根拠ある理屈でなく科学コミュニケーションの問題だと思っていたら藤田保健衛生大学の先生がツイートしておられた。

現在進行形で大学にいるわけではないので古い話だけど、科学コミュニケーション教育はあまりされてないんじゃないかと思いました。修士課程の時に日本科学未来館のサイエンスコミュニケーターの方とお話しする機会があっていろいろ聞いたものの、学生なりに待遇ひどいと感じたのを思い出します。応募条件が博士号持ちで、でも任期は5年。自然科学の面白さを伝えるやりがいや楽しさはこういう場でないと得られないだろうと思うものの、安定とは遠いなあ、と…。今は変わってるかもしれない、いや変わっててほしい。

 

でたらめなデマは論破できます。科学はエビデンスと客観性の積み重ねだから。でも主観の注射こわい、ワクチンの話題では副反応こわい、は理屈で聞いてもらえるものじゃない。予測できて対応可能なワクチンの副反応と、long COVIDがあるように死なずとも生活に支障をきたしかねない感染症のどちらを取るかはまともな医師からすれば明白なようです。副反応が出るか出ないかは接種しないとわからないと私は思うけど(調査結果から読み取れる傾向であって絶対ではない)、怖い派は感染はしないかもしれないけど接種の副反応は確実に起こるものだと考えているように見えてなんだかなあ。原因がなんであれ体調悪くなるのは誰だってイヤです。なんだかなあと思うのは100%の予防効果がないなら意味ないとか少しでもリスクがあるから避けるとかの部分。科学に誠実であれば「絶対」は使わないし、「可能性が極めて高い」「ほぼ~である」は素人にとっての絶対と解釈していい程度ではなかろうか。自分に不都合な点を拾ったり無視したりして正当化するのはあまりいいことじゃないと思うんですがどうでしょう。これも理屈と言われればそうですが、数字で動く人間が書いてるので仕方ない。

自然科学や医学に限らず、他人にとってなじみのないことを説明するのは難しい。巷に蔓延るエセ科学という名の大嘘はそれっぽい単語を並べてるけど中身は空っぽ。じゃあそれを理科かじってない人に説明できるかというと、うーん…。だから理詰めにならず理屈を無視せずの科学コミュニケーターという存在はこれからますます必要になる。物理が物理と聞くだけで敬遠されるのは理科教育の影響かもしれない。教える先生本人ができるのとそれを教えるのは別スキルとも思う。

なんか科学コミュニケーションを考えてたら、化学って面白い!と授業が楽しみだった高校時代を思い出しました。理科の先生いいなあ(だが進学した材料工学科で取れるのは数学の教員免許だった)とか、理科を面白いものだと感じてほしいっていうのはそのあたりから来ている。

 

 

(怒られそうなことを敢えて言うと、病院嫌いや注射こわいは健康な人の特権だと思うので、嫌味ではなくそのまま健康体でいてもらいたい。採血や点滴をイヤとか言ってられないよりずっと良い。健康がいちばん。)